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コラム

WINGアート通信|彫刻家・母里聖徳さん。 25年の沈黙を越えて、いま、思うこと。(2)

INTERVIEW


彫刻家・母里聖徳さん。
25年の沈黙を越えて、いま、思うこと。(2)

 

彫刻家の母里さんに、前回は海上先生との運命的な出会いについて聞いてきました。
今回は引き続き、北九州から田川で行ったアートプロジェクトについて詳しく聞いていきます。

 

前回はこちらから

 

 

──現場で、アートプロジェクトをする。

自分の彫刻を探し続けるときに、美術とかかわらなきゃいけないから、アートプロジェクト的なようなことはいっぱいした。

そのころ、山野(真悟)さん*たちが福岡でやってた、現場からの発信って、ぼくはわりと好きやったから。

自分がかかわれる街とか商店街とか、そういうところでやるっちゅうので、北九州や筑豊の商店街を使ったりね。
自分たちでアートスペースをつくったのも、そういうところなの。

 

山野さん…アートプロデューサーの山野真悟。1971年に美学校銅版画教場を卒業。1978年よりIAF芸術研究室を主宰。1991年よりミュージアム・シティ・プロジェクト事務局長に就任。「まちとアート」をテーマに様々な美術展のプロデュースを手掛ける。2009年、黄金町エリアマネジメントセンター事務局長に就任。著書に『アートとコミュニティ』(共著者:鈴木伸治、2021年 春風社)がある。

 

ギャラリー・ソープの入り口の様子

 

GALLERY SOAPギャラリー ソープ*も、小倉の街でなにができるかというところではじめた。
まずは物価などが安い身近な八幡の、祇園町商店街という商店街をつかって美術展を宮川(敬一)*といっしょにした。

そのあと、一緒にGALLERY SOAPを小倉につくった。
宮川はそのころ、街のいろんな施設をつかって作品をつくっていた。
そして商店街で美術展をしたときに、八万湯の銭湯*をみつけて、その後の活動に宮川はつなげていく。

GALLERY SOAPをつくったときは、川俣さんのコールマインプロジェクト*も手伝ってたし、田川から通うのも大変だったので、宮川にゆずって、オルタナティブスペースhaco*を田川につくった。

 

GALLERY SOAP…GALLERY SOAPは1997年5月に北九州市で設立されたアーティスト・ラン・スペース(アーティスト自身がディレクターとなり運営するスペース)。設立以来、国内外のアーティストの展覧会やノイズ・実験音楽等の音楽イベント、映画やヴィデオプログラムの上映会、レクチャーシリーズなどを開催。また、商業施設、ケーブルTV、インターネット、ビルボードやストリート等を利用したアートプロジェクトも展開している。

宮川敬一…アーティスト、GALLERY SOAPディレクター。1997年に、北九州市でGALLERY SOAPを設立以来、キャンディー・ファクトリー、藤浩志、松蔭浩之、大友良英、灰野敬二、ダン・グレアム、ピーター・ハリー、イエスパー・アルバーなど国内外のアーティストの個展やイベントを企画。

八万湯プロジェクト…北九州市八幡東区祇園エリアに立地する銭湯「八万湯」。1994年以降、アーティストの宮川敬一、森秀信たちがこの銭湯「八万湯」を拠点に種々のアートプロジェクトを展開。活動休止の期間を経て、2009年5月、八万湯が再起動した。

川俣さんのコールマインプロジェクト…美術家・川俣正(1953-)によるアートプロジェクト。旧産炭地・田川を舞台に、1996年から2006年までの10年間、毎年春と秋に実施された。成道寺公園を拠点に、50mの鉄塔を建てることを掲げ、展開された。

オルタナティブスペースhaco…田川市伊田にあったオルタナティブスペース。戦時中、採掘機械の保管庫として使われていた防空壕を改造したもので、トンネルのような洞窟のような空間がふたつ並んでいた。

 

hacoで2000年に開催された、山崎ハコさんのライブのフライヤー

 

hacoはオルタナティブ*なスペースとしたから、美術の展示もすれば、音楽ライブ、クラブイベントやヒップホップイベントなど、実験的なこともいろいろやった。
そのころhacoで遊んでいた若い子たちが、40代過ぎて、いまも元気で活動してるよね。

そのころの若い子たちがいまの田川でヒップホップ系でね、ストリート系でしてる子もいれば、フォークやロックをしてる子もいる。

ロックしよったのが、いまのパレット*の青柳(考哉)くん*とか、宮田ノブくん。そして独自路線でやってた宗くんや平岡くんたち。
いいかねパレット開いたのが樋口(聖典)くん*で、樋口くんはリーダー的存在やった。
あとエレファンツ*の木村康治さんの亮一、貴輝兄弟*のグループもかなり注目されていた。
そのころの田川の音楽シーンは筑豊でもダントツやったね。

当時の元気な若い子たちはよくhacoをつかってくれたね。
佐土嶋(洋佳)*とか、(まるやま)ももこ*とか、サダ(中村禎仁)*とか、美術系の作家も音楽のメンバーと仲間で、hacoで一緒に遊んでくれた。
いまもアーツトンネル*などで活躍してる。

hacoの活動は、川俣さんのコールマインプロジェクト*をするのと同時進行でね、田川でどのような発信ができるかということでやったわけ。

 

いいかねPalette…いいかねPaletteは、2014年統廃合となって生まれた廃校、旧猪位金小学校を利活用した施設。「音楽を中心とするコンテンツ産業の創出・集積」を目指し、「福岡コンテンツバレー構想」を掲げ、その中心拠点として2017年4月からスタートした。

オルタナティブ…「既存のものとは異なる選択肢」という意味。ここでは、美術館やギャラリーとは異なる、実験的な芸術活動のための場を指す。

樋口聖典…福岡県田川郡川崎町出身の日本の起業家・実業家。株式会社BOOK代表取締役。元よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。元株式会社オフィス樋口代表取締役会長。お笑いコンビどぶろっくのバンド「どぶろっかーず」のギター担当。

樋口太陽…音楽プロデューサー。学生時代からのアーティスト活動、フリーランスの作曲家としての活動を経て、2011年に兄・聖典とともに株式会社オフィス樋口を設立。主な仕事に「あたりまえ体操」などがある。

木村亮一、貴輝兄弟…兄の木村亮一は、九州出身のメンバーで構成されたハードコアバンド「999999999(キュウ)」のリーダー。お笑いコンビどぶろっくのバンド「どぶろっかーず」のベーシストとしても活躍する。弟の木村貴輝は中学生の時、青柳考哉とバンドを組む。その後、ソロでも音楽活動を展開した。福岡、東京を経て地元福岡県田川市で活動中。

The Flying Elephants(ザ・フライング・エレファンツ)…福岡で活躍するビートルズトリビュートバンド。「筑豊のビートルズ」と称され、1992年にはニューヨークのカーネギーホールで公演を成功させた。

佐土嶋洋佳…田川を拠点にアーティストとして作品を発表。作家活動の傍ら、6年間の美術館勤務を経て、2019年に造形教室「ずこうしゃこどもアートスタジオ」をオープン。 2021年より筑豊地域の文化拠点を作るべく、田川市いいかねPalette内に共同アトリエ&ギャラリー「アーツトンネル」をオープンし、代表を務める。

まるやまももこ…福岡県嘉麻市(旧・山田市)出身・在住。2007年よりイラストレーターとして活動を開始。2018年から「maruiko」へペンネームを変更した。

中村禎仁…東京を発表の拠点に作品制作を続け、現在は田川を拠点に活動する。主な展示に、「サラダはじめました展」(alternative space haco、2010年)など。

アーツトンネル…2022年に設立されたNPO法人アーツトンネルは、田川市にある廃校を利活用した「いいかねPalette」内にあり、地方のアーティスト支援をおこなっている。主な活動は、共同アトリエ、ギャラリーの運営とイベントの開催など。

 

2000年の山出さんの展示のDM

 

2000年の4月にhacoをはじめた。展示のはじめのころは、CCA(現代美術センターCCA北九州)*の作家たちを呼んで作品展もしたのよ。

hacoのオープニング、だれか知っと? 山出(淳也)*よ。
山出は、バングラデシュの国際展がおわって、精力的に活動をはじめた時期だった。
hacoと同時に田川市美術館も彼の個展を企画して、それを担当したのが原田真紀*。
そのころ(山出は)、別府でつぎのプロジェクトをする計画もしよった。

山出にしても(安部)泰輔*にしても、二宮(圭一)*の教え子やからね。
そのころ二宮は、研究所*の生徒を福岡の山野(真悟)さんの展覧会や、ぼくのところにつれてきてくれて。
スタッフとして手伝うことが実体験として勉強になるからと(言って手伝ってくれた)。とても助かったのよ。

そんな感じで文化発信スペースとしてhacoも、2006年に川俣さんのコールマインプロジェクトが終わるまで活動した。

 

CCA…現代美術センターCCA北九州 CCAギャラリー。1997年にグローバルな視点から運営される現代美術の公的な研究、学習機関として発足した。アーティストや美術関係者、さらに人文・社会から科学までの様々な分野の専門家がセンターに集い、ひとつのテーブルで新たな創造に向けた論議を重ね、各々のテーマを踏まえながら、文化的・時代的な文脈の中で現代美術における考察をいっそう深める場をつくり上げることを意図していた。2021年12月末をもって活動を終了し、閉館した。

山出淳也…1970年大分生まれ。国内外でのアーティストとしてのキャリアを経て2005年にBEPPU PROJECTを設立。以降、BEPPU PROJECTが企画し実現した1000以上の取組みほぼ全てに関わり、地方都市での文化芸術に関する事業のプロデュースや企画・運営をはじめ、教育・移住・福祉・観光・6次産業化・ブランディングなど地域や企業の課題解決を図る取組みを多数手がけてきた。2022年3月、BEPPU PROJECTの代表を退任してYamaide Art Office 株式会社を設立、代表取締役に就任。

原田真紀…インディペンデント・キュレーター。田川市美術館で学芸員を務める(1996-2003)。福岡・鹿児島など九州を拠点に、展覧会やアートイベントの企画制作を行う。

安部泰輔…美術家。古着やハギレを使って小さな立体(ヌイグルミ)を制作し、そのプロセスも含めて作品とする観客参加型のインスタレーションを、日本各地で展開する。

二宮圭一…1961年、大分県生まれ。阿部平臣に師事。武蔵野美術大学で学び、その後アメリカやヨーロッパに渡る。1986年に大分美術研究所を開設した。

研究所…1986年に開設され、二宮圭一が主宰した画塾「大分美術研究所」のこと。

 

小山亘さんが関わった九州芸文館での展示のチラシ(2021年)

 

hacoの終わりがけに小山(亘)くん*と出会った。
小山くんは、桃山茶陶研究家で古田織部の研究者。
直方で織部のやきものが焼かれたと主張するも陶芸界では受け入れられず、困り果てて美術系のぼくのところに相談に来た。

古田織部のやきもの*が直方で焼かれたなんちゅーのは、ぼくも初めて聞くことで基本的に知らなかったわけでね。

ぼくの作品で、鉄を焼いてつぶして、ゆがめる発想の原点は織部*やったから、ほんとうにびっくりした。
古田織部の発想がないと、鍛造でただひずませたり、ゆがめたりするだけの作品なんて、なかなか提示できんよ。

あれはね、デュシャンとかダダがね、美術を否定するようなこと以上に、世界の陶磁器の価値観を変えたわけよ。

そして、あれだけの日本的な宗教、哲学、精神性からの造形美と、武士(もののふ)の生きざまをね、400年も前に、茶陶器としてつくりあげていたことなんて、驚愕だった。

小山くんから桃山陶のことを教えてもらって。
織部のやきものが黒田藩の内ヶ礎窯で焼かれていて、当時の京都の名工たちが、直方で、究極の思考と技術で、試行錯誤のなかから名品を生み出していたことなんて…
信じられなかったけど、これがほんとうのことだったら、ぼくにとってはたいへんなことなんよ。

 

古田織部のやきもの…安土桃山時代に生まれた「織部焼」は、戦国武将で茶の湯を牽引した古田織部に由来する。織部焼は、ユニークな造形に斬新な絵柄が特徴。織部焼が作られたのは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのわずか30年ほどだが、常識にとらわれない独自の美意識を持つ古田織部の人物像を反映した茶道具、食器は、「織部好み」と言われ人々の心をとらえた。

小山亘…『魅惑の「織部高取」』(2024年)の著者。九州桃山茶陶研究会に所属する。

 

母里さんの展示小屋の様子

 

だから、それを確認するために、「料亭 あおぎり」で海上先生に田川に来てもらって井上有一展や講演会をした。
そこで小山くんが言っている資料と現物を見てもらった。
そしたら、海上先生が見て、2~3分もせんで間違いないねと、言ったわけやから。
ぼくも小山くんも、うれしいわけよ。

それでね、それ以上にすごかったのは、先生がその場で熊倉功夫先生*に電話してくれたこと。

熊倉先生は日本茶道史のトップで、和食のユネスコ無形文化遺産登録に尽力した先生。
その先生を紹介してくれた。
そしたらもう、これは間違いないなと思うでしょ。

それが2006年ころ。
それから地道な研究、検証をつづけて。

2010年にNPO法人アイアートレボ*を立ち上げた。
2012年のアートイベント「人力車アートキャラバン*」のときからやきものの展示をはじめていった。
「ゴットン・アート・マジック*」(2013年)、「大隈アートマジック*」(2014年)もつづけて開催した。

2024年には、小山くんが『魅惑の「織部高取」』(宮帯出版社)を出版して、全国的にも認知されたのよ。

 

熊倉功夫…1943年東京生まれ。東京教育大学文学部日本史学科卒業。日本文化史専攻。文学博士。京都大学人文科学研究所講師、筑波大学教授、国立民族学博物館教授を経て、現在、(財)林原美術館館長、国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。茶道史、寛永文化のほかに、日本の料理文化史、民芸運動など幅広く研究。

NPO法人アイアートレボ…2011年に設立されたNPO法人。「アイアートレボ」とは、「Industry, Art, Revolution」(産業、芸術、革命)から創った造語。様々な発想やイノベーションによって、地域の歴史文化を見直し、芸術活動と産業構造とが融合し、触発しあい、新しい表現や事業、現象やムーブメントを生み出す活動と考え方を指す。

人力車アートキャラバン(2012年)…飯塚市、田川市、直方市の商店街などを会場に、空き店舗やアーケードで展示、ワークショップ、ライブイベントをおこなうアイアートレボ主催のイベント。人力車の発明者のひとりとされる和泉要助の出身地が直方であったことから命名された。

ゴットン・アート・マジック(2013年)…アイアートレボ、西日本新聞社、TVQ九州放送主催のアートイベント。山本作兵衛氏の炭坑記録画約100点の展示を中心に、「山本作兵衛氏の人へのまなざし」をアートのキーワードとして、招待アーティスト、筑豊地区にゆかりのあるアーティストによる展覧会、音楽イベント等を開催した。

大隈アートマジック(2014年)…NHK大河ドラマ「軍師・官兵衛」で福岡が盛り上がる2014年に、関ヶ原の合戦の後に黒田藩(福岡藩)の収めるところとなった嘉麻市大隈の町を舞台として開催されたアートプロジェクト。21名もの作家が参加し、旧大隈小学校をメイン会場にさまざまな展示やイベントが開催された。

 

2011年2月開催の「人力車アートキャラバン in 田川」のチラシ

 

それともうひとつ、ぼくにとって大きな出来事があって。
2014年の「大隈アートマジック」が終わったころ、不思議なめぐりあわせでなんとなく、筑豊の古代史の講演を聞きに行った。
話の内容が遠賀川、英彦山で。

志村裕子さん*という先生の話を聞いて、ぼくの心に衝撃が走った。
筑豊、遠賀川流域がね、日本の神話の故郷ですって(その先生は)言われた。
これを聞いたときに、地域からなにを作り出すことができるかと模索してきたぼくにとって、神話の要素はいちばん説得力があると思った。

すぐに遠賀川流域の歴史を調べてみると、福永晋三先生*が本格的に調査研究をされていることを知った。

日本や世界の神話は、その国の地域の考え方が物語になり、国民性が出る。
日本の近代の石炭産業とかやきもの以上に古代の歴史のような根源的なものが、ぼくがいま求めているものだと確信するようになった。

それからどっぷりと古代史にはまり込み、福永先生のお手伝いをしながら、筑豊から世界に発信できるアート活動を模索している。

 

志村裕子…古代史歴史研究家。1987年発行の『邪馬台国』30号から138号(2020年7月号)まで、30年以上寄稿した。

福永晋三…記紀万葉研究家。1952年、福岡県鞍手郡宮田町(現宮若市)生まれ。1975年、國學院大學文学部文学科(漢文学専攻)卒業。角川書店辞書教科書部、東京都立高校に勤務後、四十代半ばから万葉集研究のため、古事記・日本書紀等の古代史の研究に着手。「神功皇后紀を読む会」を主宰。全国邪馬台国連絡協議会九州支部副支部長・福岡県本部長。

 

──次回は地域の魅力を発信する、これからの活動について聞いていきます!

 

 

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