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WINGアート通信|彫刻家・母里聖徳さん。 25年の沈黙を越えて、いま、思うこと。(3)

INTERVIEW


彫刻家・母里聖徳さん。
25年の沈黙を越えて、いま、思うこと。(3)

 

前回は、北九州~田川で手がけられたアートプロジェクトについて尋ねてきました。
今回は引き続き、彫刻家の母里聖徳さんに、これからの展望について詳しく聞いていきます。

 

 

──この地域だからこそしたいこと

この遠賀川流域でしたいことは、残されている伝承や史跡などから想定される、新たな物語や可能性をベースに、地域の認識をポジティブに変えること。
こういう考え方や捉え方があるよと。

近代産業の炭坑もそのなかのひとつ。
石炭がとれたというのも(近代以降だけの話ではなくて)、この土地がもっている地霊の力で、弥生からはじまる農耕文明、(さらに遡って)国生みの(神話にかかわるような)重要な要素がこの地域にあるといっていきたい。

まず初めに取り組むのは、遠賀川流域がいいかなと。
全国的にもあまり知られていないし、古代史でもノーマークやし。悲しいかな、近代産業で貢献してきた一方で、世間的にはおとしめられている地域ですから(笑)。

そんな地域が、じつは…というのは、思っている以上にいろんなところに元気をあたえる。
いちばん自分たちが元気になるしね。
そのようなアートプロジェクトをこの遠賀川流域でやりたい。

 

英彦山宿坊での展示風景(2026年春)

 

嘉麻市に鎌田原かまだばる遺跡*があってね。
そのお墓のかたちは、中国の秦時代に多くつくられた様式のもので、なぜそういうお墓が日本にあるのか、まだわかってない。

英彦山は、不老不死の思想や本草学といって薬草を研究する拠点と関係があったんじゃないかという話がある。
それをふくめて考えると、秦の始皇帝のときに、不老長寿の薬を求めて東方へ渡ったとされる徐福じょふく*が、ここに来たんじゃないかという話がでてくる。

ほんとうかどうかわからんけど、日本のいろんなとこに徐福がきましたって伝承が残ってる。
九州では佐賀県に多いんよ。
筑豊にはほぼない。
ないんだけど、徐福が英彦山にきたんじゃないかと考えられるような話もある。

そう考えていくと、これまで関係性がわからなかった、この土地にまつられている神様についても、なぜこの神様がここにいるのか、少しずつつながりが見えてくる。

そういう仮説が成り立って、伝承につながっていると思うと、かなりおもしろくなる。

 

鎌田原遺跡…嘉麻市馬見山の北側に延びる鎌田丘陵鞍部に位置し、県指定史跡に指定されている。 墳丘墓といわれる溝に囲まれたマウンド上に、大陸系木槨墓や木棺墓、土壙墓、甕棺墓のなど弥生時代中期の多様な墳墓が見つかっている。出土遺物には弥生時代中期の青銅器や多彩な玉類がある。参考:「福岡県の文化財 鎌田原弥生墳墓群出土品」

徐福…約2200年前、中国・秦の始皇帝の命を受けて数千人の男女を伴って不老長寿の薬を求めて日本に渡ったとされる伝説の人を徐福という。「徐福到達の地」として、農耕や養蚕の技術を伝えたなどの伝説が和歌山、青森、鹿児島など全国に約20カ所残っている。

 

英彦山宿坊での展示風景(2026年春)

 

現代社会って、身体的にものごとを捉えることが少なくなったように思う。しみじみとか。
日本人は昔から、虫のなきごえを心地よいものとして受け入れてきたらしい。
雑多な音のなかにもリズムやしくみを見出して、季節の音色として取り込んできた。

戦後から現代にかけて、そういうものの捉え方を置き去りにして、便利で科学的、合理的なものを良しとしてきた。

日本での現代美術の考え方も、そうした思考にすごく影響されてる。
特に戦後の日本は、それまで1700年くらい積み上げられてきたものに、いったん線が引かれてしまって。
美術の方向性や展望も、西洋的な価値観や、経済とか流通を軸としたグローバルな価値観に大きく影響されている。

でも最近は、「この基準っておかしいよね」と思う人が増えてきている。

日本は、神仏習合というか、さまざまな宗教や学問、さらには争いの中で入ってきたものも、自分たちの文化に取り込みながら融合させてきた。

非合理的であること、それこそが思いやりの世界で、相手を傷つけず、長い時間をかけて理解し合い、長期に寄り添っていくような、そういう生活の智慧ちえ。

この自然をベースとした霊性的な、感性や感覚を重視した考え方を、ぼくはいちばん重要視している。

 

英彦山宿坊での展示風景(2026年春)

 

中央だけじゃなく、その土地ならではの歴史や文化が残る地域から、そういう歴史を再発見する提案をしたい。

これまでアートは、産業や文明とともに変化しながら、人間らしい社会のあり方をつねに考えてきた。
でも最近は、それを突きつめていっても、行き場所がないような感じがする。

文明の歴史は数千年だけど、人類にはもっと長い歴史があるから。
文明が生まれた場所や、その背景にある環境などに、大切な要素がある気がする。

日本の歴史が本来もっているおもしろさをもう一度見直したうえで、遠賀川流域から世界に向けて、新しい価値観を提案できないかなと。

 

1987年国際鉄鋼彫刻シンポジウム出品作(撮影:中島加津子)

 

ぼくがそういうふうに考えだしたのは、国際鉄鋼彫刻シンポジウム*をはじめて、産業と美術というものの関係性を考えはじめた頃から。

鉄鋼業の世界を運よく短時間で経験したことで、頭のなかがいっぱいになってしまい、(そのあとしばらくは)モラトリアムのような(自分の進む方向を模索する)時期を過ごしていた。

石炭産業のことや、生まれた土地のこと、日本や世界の美術のあり方について考えるようになって、川俣さんのプロジェクトも手伝った*。

鉄を素材として作品をつくるので、鉄鋼業が中心(のテーマ)となる。
美術と産業の関係性については、古くは産業が優先で動いていて、権力や経済構造の下に美術があった。
産業革命が起こって、人間社会の構造や技術が変わるにしたがって、美術も大きく変化していった。
(こういった流れのなかで)産業と美術の関係性とつながりの結果をどのように解釈して、個人で何ができるのかと。

 

国際鉄鋼彫刻シンポジウム…1987年と1993年に北九州で開催された「国際鉄鋼彫刻シンポジウム」。フィリップ・キング、フランク・ステラ、篠原有司男といった名だたる作家が参加した。

川俣さん…現代美術家・川俣正は1996年から2006年まで、約10年間にわたり、田川に年に2回滞在し、住民と協同するアートプロジェクトをおこなった。

 

2023年のいいかねpaletteでの展示風景

 

そこで気づいたのが、産業と美術を自分なりに客観視すること。今の現状を素直に受け入れ、肩を張らずに楽しみながら制作を積み重ねること。
また、そのような活動を後押ししていくのもおもしろいと思う。

現代人が忘れてしまって、気づいていない縄文人のものづくりの純粋性や本質に学び、筑豊の土地から霊性的なものを探り、遠賀川の歴史を調べることで、新しい付加価値が生み出される。
そういう考え方を前向きに進めていくと、もっと日本的で素敵な事柄が見えてくるんじゃないかなと。
そこに、美術を志すアーティストの力が活きてくる可能性があるんじゃないかな。

いまは個人的な感性や感情を表出する美術が主流になっているけど、社会とか権力に対する問題提起とかも、作品や美術の重要な要素になっているから。
そういう意味で新しいジャパニーズ・コンテンポラリーができればと思うわけよね。

いろんな人がいろんな切り口で発信することができる。
そういうパッションを持った人がたくさん出てきて、この筑豊に光が当たればなと。

 

作品に生えた苔も、喜んで作品に取り入れる

 

──筑豊地域のアートシーンの話はまだまだ盛りだくさん。次回の更新もおたのしみに!

 

 

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